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【赤津焼】 梅村 晴峰氏 - 愛知県瀬戸市 -

日々の研究と研鑽が、いにしえの美を蘇らせる
 
 やきものの代名詞「瀬戸物」で知られる愛知県瀬戸市は、日本の窯業の一大中心地。

 だがこの瀬戸に、古来より受け継がれているやきものがあることは、あまり知られていない。

 古墳時代に瀬戸市猿投(さなげ)山山麓に始まった赤津焼は、平安時代に日本最古の灰釉陶器を完成させ、さらに多彩な釉薬や装飾技法を生み出し、日本六古窯のひとつに数えられている。



 この歴史を受け継ぐ窯は、現在瀬戸赤津地区に六十余り。古瀬戸や黄瀬戸、織部、志野、御深井(おふけ)など趣深い七種の釉薬を用い、伝統のヘラ彫り、透かし彫り、印花などで文様を施した優美な赤津焼を生み出している。弄月(ろうげつ)窯の梅村晴峰さんもその一人。「赤津焼には歴史があり、伝統の技がある。土や釉薬の原材料に恵まれたこの地にあって、怠けてはいられません」と、淡々と時に厳しい眼差しで語る。その旺盛な探究心と豊富な知識は、並々ではない。

 実は、江戸時代からの由緒ある窯を継ぐ折、猿投山周辺の古窯跡を足で歩いて調査し、古文書を繙き、赤津焼の歴史や伝統技法を研究し尽くしたという。「技術は見て憶え、自らの手で作り修得していましたが、その裏付けとして知識も理論的に学ばなければ身につかないと思いまして」。この経験が自分を一回りも二回りも大きくしたと語る梅村さんは、作陶に少しの妥協も許さない。

 土をこね、ろくろを挽き、釉薬を調合して焼き上げる全過程に、自分の持つすべての技術と知識を注ぎ込む。まず土を生き物としてどう生かすか。同じ場所の土でも微妙に違うため、土の分析から始める。その上で最高の状態を見極め、その瞬間を使いこなし、最高の姿を出していく。「そうしないと土に申し訳ない」と一言。釉薬の調合は、窯元にとって一子相伝の秘中の秘。それぞれの窯が独自の色合いを競うが、弄月窯の織部は際だって冴えた色を放つ。

 「伝統に甘えていては、結局その程度のものしか生み出せない。色合いひとつに疑問を持ち、窯変のメカニズムを知り、自分自身で調合し、納得するまで何度も試し焼きを繰り返すだけ」。さらりと話す梅村さんに、研鑽を重ね、技を積み上げてきた自負心と最高のもの作りを目指す意気込みが感じられる。

 そして窯入れ。やきものは最終的には火に委ね、人の力の及ばないところで完成する。土も釉薬も炎さえも天然素材。天気ひとつで大きく変わり、同じ窯変は二度と生まれない。それだけに窯入れは真剣勝負。毎回毎回が火との格闘であり、「火に勝ったときの気分は最高」だという。さりげなく飾られた織部の一輪差しの、緑釉の肌に走るルビー色の輝きは、その勝利の証かもしれない。

 赤津焼が国の伝統的工芸品の指定を受けたとき、梅村さんの調査、研究結果が大いに役立ち、多大なる貢献をしたと聞く。それだけに赤津焼に対する思いも深く、赤津焼の将来を見据えて奔走する梅村さん。「赤津焼きはやきもののルーツ。今後は瀬戸の核として、本物の瀬戸物を作らなければならない。伝統だけに頼るのではなく、作り手の創造性も試される時代ですからね」。

 知名度も年々上がり、後継者も育ってきており、これからが本当の勝負と語る梅村さん。土と釉薬と炎にまっすぐに立ち向かい。美しい彩りのやきもので、私たちを魅了していってくれるに違いない。

取材協力


伝統的工芸品産業振興協会
赤津焼工業協同組合

※このページは1984年から1998年にかけて発行された、丸文株式会社広報誌『MIA』ならびに『MIA別冊』に掲載されたものです。お名前、その他の表記等については取材日現在です。



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